約1年と4ヶ月経って。

飼っていたうさぎが亡くなってから、おおよそ1年と4ヶ月が経ちました。

うさぎとしてはそこそこ長生きして、最後も老衰だったので、天寿を全うしたんじゃないかな……そうだといいな、と思っています。

この記事を書いている時点で察せるとは思いますが、未だに時々……というよりは割と頻繁に思い出して寂しくなっています。

特に次にうさぎや他の動物を新しく家族として迎える予定はありません。それはそれで幸せになれるのかもしれないけど、亡くなったあの子がいない寂しさが消えるわけでもないと思うので。

とても人懐っこく、家族の輪の中にいることを好む子でした。家族全員に対して、多少関わり方は違えど、好意的に接してくれる子でした。
息を引き取ったと思われるときは、家族が食事をとっているすぐ傍にいました。最後、少しでも安心していられたなら、良いのですけど。そうであることを、願っています。

私にとっては、やんちゃな弟といった感じでした。時折イタズラをするし、私が立っていると背くらべをしたがるように後ろ足で立ち上がってこちらをみてきたり、こちらに挑むように、上の立場であることを示しがたるように、私の手に乗っかかるようにしてきたり。

でも、優しく素直な子でもありました。私が凹んでいるときに労るように傍で動かずにじっとしていてくれたり、撫でると嬉しそうに目を細めていたり。

特に印象的だったのが、年をとって痩せてきていた頃のことです。うさぎの不調そうな様子ややせ細ったその姿に、一度目の前で私が泣いてしまったことがありました。もう体力的にも動ける力もあまりないだろうに、立ち上がって心配そうにこちらを見てきたのです。やはり動物はそういう感情の機微に敏感なのでしょうか。とても優しい子でした。そういうところが大好きでした。

今でもたまに家族でお墓参りに行きます。家を見下ろせる少し遠い山の中腹あたりです。遠くてもそこの霊園にお願いしたのは、対応や印象が良かったからです。
最後火葬してもらうために亡骸を入れる箱に、手紙を入れてもいいといってくれました。家族それぞれの手紙に囲まれて天に昇っていけるように、ということだったのだと思います。

最後の手紙は涙が出て震える手で書きました。でも、自然と言葉はたくさん出てきました。いつまでも家族であると思っていること、今までの感謝の言葉、過ごした日々が幸せだったこと……それから、一つの約束ごとを手紙に記しました。
当時の私にはちょっと難しくて、でも頑張ったら達成できるかもしれなかったことを、努力して達成させてみせるという内容の約束です。

この間一応の達成を得たので、そのことをお墓に報告してきました。これで少しでも喜んでくれるといいな、と思いました。少しでも安心して、より安らかに眠りにつけていたらいいな、と思いました。
あとは現状を維持しつつも、より充実した生活を目指そうと思いました。多分、私達家族が幸せであることが、あの子にとっての喜びである、と思うので。……そう信じたいので。

本当は、こうやってくよくよしていることも、天国のうさぎを心配させてしまうのでは。そう思ってもいます。でもこの感傷は止められないし、無理に抑え込めるものでもないので、死を受け止めるための必要な過程だと思うことにしています。

それだけ、それだけ心のなかで大きな存在になっていました。存命中は、いや今でも時々、家族の話題の中心にあがるのはうさぎのことです。
生き物の命を預かり、育てて看取ることってこんなにも大変で、でも幸せなことなのかと、そう感じました。

うさぎには感謝を伝えたいです。お墓にいくたびに、感謝の思いを念じています。本当に一番つらいときに寄り添ってくれた子です。本当にありがとう。

誇張でもなんでもなく、今の生きる指針になってくれたのは、あの子です。いつか私が天寿を全うしたときに、あの世であうかもしれないから。そのときに、胸を張って良い報告ができるような人生にしたいと思っています。
そして、そう簡単に死ねないなとも思っています。そしたらきっと悲しませてしまうだろうから。

もし、この文章を読んでくれた人がいて、動物を家族として迎えている方がいたら。大事にしてあげてください。その家族との時間を大切にしてください。私は正直、構えなかった時間を悔いているところもあります。そうならないことを祈っています。

少し落ち着いてきたので、ここでこの文章は締めさせていただきます。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

その他

Posted by 冥王星